中村憲剛のイクメン対談 第8回 マクジルトン・チャールズさん
VOL.2「子どもたちに大切なことは常に考えさせること」

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――近年多発している虐待についてどう思いますか?

チャールズ:日本のように豊かな国で子どもたちが安心・安全に生活できない状況というのは、とても悲しいことだと思っています。

中村:僕はスポーツ選手として、そういった子どもたちに対してどういった貢献ができるのか模索しながら、現在チャイルドワンという活動をしています。これまでも様々なジャンルでご活躍されている方と対談させてもらったのですが、今回チャールズさんと対談できて、新たな繋がりができたことで、また新たな貢献の仕方や取り組みを見つけることが出きれば良いなと思っています。

チャールズ:ありがとうございます。

中村:もし、今後可能だったら力になりたいなと思っています。やっぱり自分たちが何かやらないと何もはじまらないというのはチャイルドワンの活動をはじめてみて感じたことなので、問題は根深いですけど継続して活動していくことってすごく大事だと思います。

チャールズ:そうですね。チャイルドワンの目標ってなんですか?

中村:目標はいじめや虐待を受けている子どもが僕が活動をすることで一人でもいなくなれば良いなと思っています。ただ、それがすごく難しいんですけどね。こういった対談を通じてみなさんにいじめや虐待について考えてもらったり、意識してもらうことって大事だと思うんです。

――チャイルドワンのロゴの意味を教えてください

チャールズ:子どもが傘を持っている?

中村:子どもたちを守るという意味です。傘の下でみんなで子どもたちを守ろうと意味を込めてピンクアンブレラ運動というネーミングにしました。

チャールズ:なるほど。

中村:アイコンってすごく大事なので、決めるのにすごく悩んだんですけどね。セカンドハーベスト・ジャパンの社名だったり、ロゴに込められた思いってあるんですか?

チャールズ: 立ち上げた当初はすごく長い名前でややこしかったので、2004年に皆さんに覚えてもらいやすいようにシンプルな『セカンドハーベスト・ジャパン』という名前にしました。ロゴマークは“ライスマン”です。お茶碗を持ったライスマンが、私たちのスローガンである“Food for All People”(すべての人に、食べ物を)を表現しています。よくリンゴに間違えられるけど(笑)。

中村:確かに(笑)。僕はいま教えてもらったから大丈夫ですけど、最初にパッと見たら間違える人がいるかもしれないですね(笑)。活動内容は違うけど、お互い共通する部分はありますよね。

チャールズ:そうですね。親の在り方が関わってくるというのは、共通する部分かもしれません。私は、親が子どもたちにしっかりと『食事』を与えることがすごく大事だと思っています。そこが満たされていないことが虐待だったり、いじめにつながるかもしれません。

中村:そうですね。そういう人たちに食べ物を届けてくれるセカンドハーベスト・ジャパンの存在をみんなに知ってもらいたいですね。

チャールズ:私たちの存在を知っていても日本だと遠慮してしまう方も多いですね。

中村:遠慮する場所じゃないんだよと伝えていきたいですね。少しでも手助けできれば良いなと思っています。

チャールズ:ありがとうございます。

――家族とのコミュニケーションで意識されていることはありますか?

チャールズ:対等な関係を保つことを意識しています。奥さんが16歳年下なので、結婚して最初の2年は苦労しました。年齢が離れているせいで、私が何気なく言ったことでも奥さんには見下されていると捉えられて喧嘩になることがありました(笑)。なので、言葉の使い方だったり、相手の立場や伝え方というのは気を付けるようにしています。

中村:お子さんとのコミュニケーションや関係性はどんな感じですか?

チャールズ:子どもに対しては、コーチみたいな感じですかね。子どもたちには常に考えることを意識させています。子どもたち同士が喧嘩をしていても、私は注意したり、怒ったりはしません。『喧嘩になった原因は何なのか?』『なぜ自分はそのような行動をとったのか?』を、まずは考えさせますね。

中村:僕も同じですね。妻とは同い年なので、チャールズさんのような経験はないですが(笑)。子どもたちと接するときは、考えさせるように心掛けています。

なかなか思い通りにいかないんですけどね(笑)

チャールズ:そのとおり(笑)。

 

※次回VOL.3も近日公開予定です。お楽しみに!!

 

◆マクジルトン・チャールズ
1963年生まれ。1982〜86年アメリカ海軍勤務。84年に横須賀基地に赴任。91年、上智大学で修道士を目指す勉強のため再来日。この頃から山谷で炊き出しに従事。大学卒業後、山谷の路上生活者のための自立センター設立を目指し活動。1997年1月〜1998年4月まで隅田川沿いダンボール生活した。2000年山谷である連帯組織(フードバンク活動のために)協同代表者になった。2002年初のフードバンクをNPO法人化(セカンドハーベスト・ジャパン)。He currently promotes food banking in Japan and Asia.