中村憲剛のイクメン対談 第8回 マクジルトン・チャールズさん
VOL.1「私に多くのものを与えてくれた日本に恩返ししたい」

中村憲剛とゲストが、育児の楽しさや喜びについて話し合う「中村憲剛のイクメン対談」。第8回は日本初のフードバンクである「セカンドハーベスト・ジャパン」CEO、マクジルトン・チャールズさんにご登場いただきました。チャールズさんは児童養護施設やひとり親家庭、生活困窮者などの人たちに食料を届ける「フードバンク」活動を精力的に行っています。実際の活動のエピソードや子どもたちから学んだことなど、貴重なお話をたくさん語っていただきました。

 

――今回の対談のきっかけを教えてください

中村:私の妻が食べ物の寄付をしていて、それがきっかけで「フードバンク」活動をしているセカンドハーベスト・ジャパンの存在を知りました。今回、こうしてお会いできてうれしいですね。よろしくお願いします。

チャールズ:よろしくお願いします。

――あらためてセカンドハーベスト・ジャパンは、どんな活動をしているのか教えてください

チャールズ:「フードバンク」とは、品質に問題のない食べ物が廃棄されている一方で貧困で食事できない人もいて、その間をつなぐ支援活動のことです。セカンドハーベスト・ジャパンは食品メーカーや農家、個人などから、まだ食べることができるのに外装の不具合や賞味期限が迫っているなどの理由で廃棄されてしまう食品を引き取って、児童養護施設やひとり親家庭、生活困窮者などの人たちに届ける、「フードバンク」活動をしています。私たちは日本初のフードバンク団体です。

中村:なぜ、日本で活動されようと思ったんですか?

チャールズ:ダメですか(笑)?

中村:ダメじゃないです(笑)。どのようにして今日に至ったのか詳しくお聞きできますか?

チャールズ:簡単な言葉で言うと恩返しですね。私は30年以上前(1982〜86年)、米国海軍で勤務していました。84年に横須賀基地に赴任することになり、日本に来ました。さまざまな経験、チャンスをくれた日本に感謝しています。また、私の娘は、赤ちゃんのときに心臓に疾患があったのですが、日本の医療制度のおかげで手術を受けることができました。この手術がなければ、娘は亡くなっていたかもしれません。

もう一つの理由は日本にはたくさんの食べ物があります。セカンドハーベスト・ジャパンの設立前、日本にフードバンク団体はありませんでしたが、ほかの国よりもフードバンク構築に向いている場所だと感じていました。そんな日本で最初のフードバンク団体立ち上げに参加することは、大きなチャンスだと思ったからです。

中村:僕自身、小さい頃から余ってしまった食べ物はいったいどこに行くのか不思議で気になってしょうがない子どもだったので、品質に問題がないのに廃棄されている食べ物を何か上手く活用できれば良いなと、漠然とですが思っていました。だから、チャールズさんのされている、セカンドハーベスト・ジャパンの活動を知って共鳴しましたね。

活動を知ったのは遅かったんですけど、チャールズさんの活動を少しでも多くの方に知ってもらえたら良いなと。ちなみに、お子さんは何人いらっしゃるんですか?

チャールズ:私が知っている限りでは、3人ですね(笑)。

中村:えっ(笑)。

チャールズ:もしかしたら(自分が)知らない子どももいるかも知れません(笑)。

中村:これ笑って良かったんですか(笑)?真面目な顔で言うから、どうしていいのかわからなかったです(笑)。

チャールズ:アハハ。中村さんは?

中村:僕は知っている子どもが3人です(笑)。

チャールズ:お子さんはおいくつですか?

中村:上の子は8歳と9歳で一番下の子が2歳で幼稚園に通っていますね。

 

※次回VOL.2も近日公開予定です。お楽しみに!!

 

◆マクジルトン・チャールズ
1963年生まれ。1982〜86年アメリカ海軍勤務。84年に横須賀基地に赴任。91年、上智大学で修道士を目指す勉強のため再来日。この頃から山谷で炊き出しに従事。大学卒業後、山谷の路上生活者のための自立センター設立を目指し活動。1997年1月〜1998年4月まで隅田川沿いダンボール生活した。2000年山谷である連帯組織(フードバンク活動のために)協同代表者になった。2002年初のフードバンクをNPO法人化(セカンドハーベスト・ジャパン)。He currently promotes food banking in Japan and Asia.